こだわらない生き方〜○○教〜
幸せに生きるためには物事の執着をなくしたほうがいい。
執着は心を縛ってしまい本人を苦しめるから。
とか仏様は言う。
執着ってどういうことだろう。
物事に固執しこだわること。
これが絶対良いとか正しいとかに囚われすぎること。
でもまあこだわりってものは信念に通ずるものでもあって、それはそれで必要だとは思う。
その人の個性にもなる。
こだわることを全否定はできない。
もちろん自分にもある。
問題は固執、執拗にこだわること。
固執の問題点は排他的になり人の意見を受け入れなくなること。
それはトラブルの原因にもなるし、結果本人も苦しめる。
じゃあこだわりをなくして全ての人の意見に共感した方がいいのか。
そんなの神様じゃあるまいし無理だろう。
理想は、こだわりはあるけどこだわらない状態。
正論っぽくいうと、
自分の信念はあるけど人には干渉しない状態。
他人の考えは受け入れはしつつ、共感まではしないけど否定まではしない状態。
自分の信念を曲げる事なく人の意見を受け入れられる状態。
これが理想だ。
簡単にいうと、
本当の執着がない状態とは「どっちでもいい」って思うこと。
「どっちでもいい」っていうと投げやりな感じなら
「どっちでもOK」でもいい。
そう思えば全てが肯定的になる。
よくあの時こうすればよかったとか後悔したりするが、
まあどっちでもOKだったでしょ。なんて感じで捉えることができれば後悔とかはなくなる訳で、
なんでも気が楽になるし、人の批判や意見の対立も少なくなる。
敵なんていないってイメージに、ダメなんてないってイメージになる。
全ては必要で色々であって人間のすることに正解なんてない「どっちでもOK」なのかもしれない。
最近は夫婦でやっぱりうちは「どっちでもいい教」だね。
なんていいかげんな話しをしている^^
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